アメリカの立ち直り 4
1950年代後半、ロウエル・トマスがこの記事を書いた時、スネーク峡谷沿い一帯からカリフォルニアおよびグレイト・ソルト・レークにまで広がっていたシンプロットの事業版図はなおも最も急速な拡張の段階を迎えようとしていました。
いまだに信託人や共同経営者、会員や子会社などをいろいろ抱え、法律的に複雑な個人企業で、誰も1950年代、1960年代初めには正確にその規模を測ることができなかったのです。
しかしこの会社について論評する者は、最も目覚ましい成長は1960年代半ば、シンプロットがカリフォルニアのソルヴァングにある邸宅でレイ・クロッ.クと会い、このマクドナルドのハンバーガー王がポテト王子に「大いにやりましょうや」と言った後のことだと口をそろえて語っています。
それまでの数年間、シンプロットはこの急成長中のチェーンに生のジャガイモを売っていました。
しかしこの仕事はイモの保存に費用がかかり、毎年およそ30万ドルから40万ドルが無駄になっていました。
マクドナルド側はそれほど気にしなかったのですが、シンプロットとしてはもっと有利な取引が必要でした。
先代マクドナルド社長のオフィスに案内されると、シンプロットは冷凍ジャガイモを使ってはどうでしょうかともちかけ、その製造に彼自身の特許とマクドナルドの特許の使用を提案しました。
・・・するとこの経営者は憤然としてマクドナルド独特の自家製ポテト・フライのユニークな魅力について弁じたてました。
このフライは当社の最も貴重なセールス・ポイントだ、私は決して冷凍ものは使わない、と。
父親以外の人間からそれまでこんな熱弁を振るわれた経験のないシンプロットはひどく動揺しました。
やがてこの社長は退きクロックに後を譲りました。