アメリカの立ち直り 2
ある思いがけない展開がなければ、シンプロットの工場も完全に休眠状態のまま放っておかれたことでしょう。
アメリカの主婦は会社のように会計士もコンピューターも持っていませんでしたが、価値のあるものを見分ける目を持っていました。
主婦たちは専門家が躊躇した所に殺到しました。
冷凍フライは思いがけず小売の食料品店で売れ始めたのです。
1958年から1960年にかけて、売れゆきは2倍に伸び、シンプロットはその設備を全面的にジャガイモの加工に戻し、その後2度と変更することはなかったのです。
会社は最も劇的な大波に乗ろうとしていました。
デルコにいた時父親から牛の乳搾りを命じられて以来、シンプロットが仕事から目をはなすことはほとんどなかったのです。
50歳になったJ・R・は趣味としてスキーを始め、まるでスキーをはいて生まれてきたかのように斜面を滑降し始めました。
サン・ヴァレーで彼は報道記者のロウエル・トマスと友人になりました。