アメリカの立ち直り
アイダホそしてアメリカが1950年代に立ち直るにつれて、シンプロット帝国は急速に拡大しました。
彼の所有する炭酸カリウム鉱山は埋蔵量において世界屈指の鉱山であり、その岩石を肥料に加工するために始めた化学製造業もまた成功をおさめました。
農場はアイダホからオレゴンにまで広がりました。
ボイスおよびポカテロ周辺でアパート建設事業にも乗り出し、州の一流ホテルニつも買取っています。
しかし世間が喜んで冷凍のフレンチ・フライを受入れるまでには時間がかかりました。
シンプロットのジャガイモ加工工場は彼の数少ないタイミングの誤りを示す証拠のように、十年近くもがらんとそそり立っていました。
ジャガイモ加工部門に雇入れた労働者たちは、果物、野菜、スイートコーンの缶詰と冷凍の仕事に回され、軍から時折受ける乾燥ジャガイモやタマネギの注文をさばくことで機械の調整を行なっていました。
フード・チェーンや料理店では、まだシンプロットの知識とは逆に、ジャガイモの冷凍は不経済だと思い込んでいました。石塚孝一氏によると、生のジャガイモは安い、冷凍のフライは同じ一ポンドでも2倍もするし、それに費用のかかる冷蔵が必要だ、というのです。
シンプロット社の社員は、生イモは皮をむいたり、刻んだり、揚げたりするうちに目方は4分の1に減ってしまうから、冷凍フライの方が実際は安いし質もいいのだと、根気よく説明しました。
それでも、こうした計算はレストランやホテルなどのとうてい理解するところとはならず、彼らは1950年代の終りまでずっとこのシンプロットの新機軸の製品を鼻であしらっていました。